2010年12月25日土曜日

喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます。


昨日、大叔母が胃癌のため永眠いたしました。




私の家は両隣に祖母と大叔母の家があり、故人には生まれた時から今日までの23年間、言葉では言い表せないほど大変お世話になりました。
様式に則れば喪中の範囲内には入らないのですが、個人的な気持ちから喪中とさせて頂きます。

以下テンプレートで申し訳ありませんが、
ここに本年中に賜りましたご厚情を深謝致しますと共に、明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます。

平成二十二年 十二月

2010年12月2日木曜日

同じ/窓を/見ていた


昨日は高校の同窓会がありました。
始発まで飲んで山手線4周くらいしたあとに大学直行の状態で書いてます。
ふだん僕は個人情報を自分から出すことは少ないのですけど、高校はひとつの誇りであり自慢でもあるので書かせて頂きます。
僕の母校は初台はオペラシティ近くにある関東国際高等学校。科は演劇科でした。
珍しいですね、演劇科。演劇部じゃないですよ。科なのでカリキュラムにクラシックバレエとかジャズダンスとか演技実習とか歌唱とかありました。体育の代わりがジャズダンス。
2年生の春・秋、3年生の春・冬にそれぞれ公演がありまして、裏方業もプロの先生のお力を借りるのですが、学生がスタッフとしての役割も持っていました。ちなみに僕は転換/大道具・小道具班でした。なつかすぃ…
元女学校だったので挨拶が「ごきげんよう」だったり、男女がふつーに同じ教室で着替えたり、色々とぶっとんでました。
入学当初は47人いた(というのを久しぶりに思い出した)のも、卒業時には39人に、うち男子は8人という、知らない人からしたらパラダイスのような男女比でした。知らない人からしたら…ね(遠い目)

で、昨日は生き残れた39人中24,5人と、今年(だっけ?)定年退職された1年生のときの担任でもあり学科長でもあり歌の先生でもあったモリタ先生を交えての同窓会でした。
まーみんな変わってなかったね。と言ったら嘘になるかな。
人間は変わってなかったけど、考えてることはやっぱ変わってた。昔のままを期待することはないけど、それでもやっぱり、懐かしさを感じると安心します。
なんだろうね、自分の立ち位置が確認できるというか、色々と気付かされます、この集まりは。
ただ自分はもう舞台とはあまり関係のない場所にきてしまったので、ついてけない話題がいくつもあったのが悔しかったかな。いや、だからこそ今の自分にしかできないこともあるのですが(意訳:お仕事ください><)。
久しぶりに先生ともお話できたし、みんなとも会えたし、笑いまくって頬筋と腹筋痛いし、最高の夜でした。
そういえば佃井皆美さん(公の場なのでフルネーム+さんで…笑)がこんど新国立でやる舞台のヒロイン役を演じるので、これはぜひ観に行こうと思います。早くチケット取らないと…

さてさて、次集まるのははたして何年後かな?